本当の美しさがにじみ出るとき

女性の外見的な美しさの価値は確かに高いです。
なぜなら、誰もが美しいものも、美しい人も好きだからです。

本書では外見美の大切さも取り上げていますが、実を言うと、美しさに関していちばん大事なところは、そこではありません。
目に見える外見的なことが重視される時代は、過ぎ去りつつあるようにも思います。

例えばAKB48は、美しいというよりも、ごくごく普通の女の子たちの愛らしさ、活発さ、そしてちょいと庶民的なところが魅力のひとつ。
活き活きしていて元気なその姿が、多くの人々の共感を得ているのかもしれません。
アイドルでありながら、なんとなく手が届くような存在、というのでしょうか。

彼女たちを美しく魅せているのは、内側からくるパワーや表には現れてこない努力などでしょう。

外見の美しさは、軽視されるべきではありませんが、最も重要なものでもありません。

人が本当の美しさを感じるのは、一時的には目から入ってくる情報でありながら、やはり最終的には内面に人を惹きつける魅力がその人にあるかどうか。
人々はそれを野性的に、直感的に受け取るものです。

いくら外見が良くても、誰もが超美人!と認める人であっても、いつも内面がヒン曲がって、人を傷つける物言いをしていたり、人を批判しバカにする態度をしていたり、自分の価値観に固執し、それを他人に押し付けるような人に、美しさを感じることはありません。

そういうところを感じたときには、一瞬にしてブスにさえ見えるものです。

誰もが認める美しい人、と言われた女性の中に、オードリー・ヘップバーンがいます。
彼女の大きな瞳と愛らしい顔立ちには、時代を超えた今でもため息が出るほど美しさと愛くるしさを感じます。

しかし、私を含め、一部の人は、若かりし頃のオードリーよりも晩年のオードリーに美しさを感じています。
晩年のオードリーは、外見にこだわらず、女優たちには当たり前になっている、最先端美容医療などもしておらず、慈善事業にずっと携わっていました。

特に美しく装うこともなく、現地に向かうときはポロシャツにチノパンというシンプルなスタイルで子どもたちに愛を注ぐその姿は、顔中シワだらけでも、白髪があっても、内面の凛とした生き方が見た目の美しさに反映されているような気がしました。

そういう意味ではマザーテレサも同じかもしれません。

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